「30代の平均貯蓄額は◯◯万円」。この見出しを見て、反射的に自分の残高を思い浮かべたことはないでしょうか。多ければ少し安心し、少なければ落ち着かなくなる。ごく自然な反応です。
ただ、この比較から得られるものは、実のところほとんどありません。
平均が答えられるのは、分布の中の位置だけ
平均貯蓄額という数字は、あなたの家賃を知りません。家族構成も、来年に控えている出費も、収入がどれくらい安定しているかも知りません。
同じ「貯蓄300万円」でも、実家暮らしで固定費が小さい人と、都心で家賃を払いながら数年内の転居も見込んでいる人とでは、その300万円が持つ意味はまったく違います。前者にとっては十分な余裕でも、後者にとっては心もとない金額かもしれません。
平均が答えてくれるのは「世の中の分布のどのあたりにいるか」だけです。「自分の予定に対して足りているかどうか」という、本当に知りたい問いには、最初から答える構造になっていません。
それでも比べてしまうのは、点数として見ているから
意味がないと分かっていても、つい見てしまう。この反応の方が、実は考える価値があります。
おそらく私たちは、残高を自分の点数のように扱っています。増えていれば「よくやった」、減っていれば「よくなかった」。だから平均という基準線が示されると、上か下かを確かめたくなる。
けれど残高は、ある期間に何が起きたかの記録にすぎません。旅行や引っ越しにお金を使って減った月もあれば、特に予定がなかったから増えただけの月もあります。前者が悪くて後者が良い、という性質のものではありません。記録であって、評価ではないのです。
点数として扱うと、判断の方が歪む
この結びつきが強くなると、困ったことが起きます。
残高が自分の価値の証明のように感じられると、それを減らす行為は「自分の点数を下げること」になってしまいます。だから、本来は使ってよい場面でも手が止まる。逆に、残高が大きいこと自体に安心してしまい、本当に必要な備えを後回しにすることもあります。
どちらも、お金の使い方の問題というより、数字の役割を取り違えたことによる副作用です。
比べるなら、去年の自分
それでも何かと比べたい、というのは自然な欲求です。であれば、前提条件が揃っている相手がひとりだけいます。1年前の自分です。
収入や生活スタイルが大きく変わっていなければ、比較の条件はほぼ同じです。この状態で見比べれば、支出の中身がどう変わったのか、同じ収入でも使えるお金がどう動いたのか、といった意味のある差分が出てきます。他人の平均値をいくら集めても出てこなかった種類の情報です。
そしてこの比較には、上も下もありません。ただ、去年と何が変わったかが分かるだけです。