投資の入門記事を読んでいると、かなりの確率でこの一文に出会います。
「アインシュタインは、複利を人類最大の発明と呼んだ」
長いこと、そういうものだと思って読み飛ばしていました。あるとき、ふと引っかかりました。物理学者が、なぜ複利の話をしたんだろう。
出典が、どこにもない
まず探したのは、いつ、どこでそう言ったのかです。
見つかりませんでした。プリンストン大学出版局が編んだ引用集『The Ultimate Quotable Einstein』では、この発言は「おそらくアインシュタインのものではない」という分類に入れられています。15巻を超える全集にも、複利についての言及は出てきません。アインシュタイン・アーカイブの側も、関連する書簡や講演記録を確認できないとしています。
言った証拠がない、という以上に、言っていないことを裏づける調査のほうが積み上がっている状態でした。
最初に言ったのは、誰でもなかった
では、この言い回しはどこから来たのか。引用の出所を追う Quote Investigator という調査サイトが、かなり細かく遡っています。
現在たどれるいちばん古い形は、1916年、アメリカの地方紙に載った投資会社の広告でした。記事ではなく広告です。しかも作中の登場人物のセリフとして、複利は「世界が生み出した最大の発明」だと語らせている。
もう一つよく似た言い回しに「複利は世界の8番目の不思議」というものがありますが、こちらも1925年、クリーブランドの新聞に載った貯蓄貸付会社の広告が最古の形です。このときは、誰の言葉とも書かれていませんでした。
つまり両方とも、出発点は金融会社の広告コピーだったということになります。
名前だけが、付け替えられてきた
面白いのはここからでした。誰の言葉でもなかったものに、名前が後から貼られていきます。しかも一度ではありません。
「8番目の不思議」のほうを時系列で並べると、こうなります。
- 1929年 ── ナポレオンが感嘆した言葉として
- 1965年 ── ロスチャイルド男爵の言葉として(これも新聞広告)
- 1981年 ── ロックフェラーの言葉として
- 1988年 ── アインシュタインの言葉として
軍事的な英雄から、銀行家、実業家を経て、最後に科学者へ。その時代に、その話をいちばん重く聞かせられる人物が選ばれているように見えます。
「人類最大の発明」のほうにアインシュタインの名前が最初に現れるのは1976年の経済紙です。そしてここが、個人的にいちばん引っかかった部分でした。**その記事の書き方は「彼はこう言ったと伝えられている」だったのです。**断定していません。書いた人も、確証がないことを分かっていた。
伝聞であることを示すその一言だけが、広まっていく過程で落ちました。残ったのは、アインシュタインが言った、という形です。
それでも複利が本物だ、というややこしさ
ここで話をひっくり返しておく必要があります。
**出典が怪しいことと、内容が間違っていることは、まったく別です。**複利の効き方そのものは本物で、しかも計算すれば誰でも確かめられます。
たとえば、月5万円を年3%で20年積み立てたとします。入れたお金の合計は1,200万円ですが、複利で増えた場合の合計は約1,641万円になります。差は約441万円です。これは前提を置いた計算であって、この利回りが約束されるという意味ではありません。ただ、前提さえ決めれば、誰が計算しても同じ答えが出ます。
だから不思議なのです。確かめられるものに、なぜ有名人の名前が必要だったのか。
名前が要るのは、確かめてもらうつもりがないとき
調べ終わって残ったのは、この感覚でした。
計算して見せれば済む話に、権威の名前が付いている。名前が必要になるのは、読む人に確かめてもらうつもりがないときです。「アインシュタインが言った」は、「だからあなたは確かめなくていい」とほとんど同じ意味で機能します。
そしてこの構造は、複利に限りません。お金の情報には、「専門家によると」「富裕層はやっている」「海外では常識」といった言い方が繰り返し出てきます。どれも、確かめる作業を省略させる働きをします。
読むときに一度、その名前を外してみるといいのだと思います。外しても成り立つなら、それは本当に確かめられる話です。外した瞬間に何も残らないなら、確かめる材料がもともと無かったということになります。
物理学者がなぜ複利の話を、という小さな引っかかりから始めて、行き着いたのはそこでした。数字の話をするときに、いちばん警戒すべきなのは数字ではなく、数字に添えられた名前のほうかもしれません。
似た話として、「生活防衛資金は3ヶ月分」の3がどこから来た数字なのかも調べています。こちらは出典こそ見つからなかったものの、根拠にしていた制度のほうは辿ることができました。